ファスト人生

いつのまにか、大人になっていた

 ちいさい頃に思い描いていた「大人」になれたどうかはともかく、いつのまにか大人になっていた。
 高齢化社会において、三十歳はまだ若い分類に入るかもしれない。だけど、自分で「まだまだ若いぜ」なんて態度をとるのは恥ずかしい年齢だろう。
 すくなくとも、おじさんのスタートラインには立っただろう。
 じゃあ、同年代の女性陣がおばさんに見えるかと訊かれたらそれはノーだけど、自分のことは過剰なくらいおじさんだと思っておいたほうが安全だろう。(反面教師はたくさんいる)

大人って、忙しい

 当たり前だけど。子どものときは知らなかった。大人って、本当に忙しい。
 幼い頃「大人はすぐに忙しいと言う」みたいな文句を言ってプリプリしながら、レゴブロックを積み上げたり、壁とキャッチボールをしていた。
 ああ、本当に忙しかったんだな。と、おじさんになってわかった。
 大人ってのは、目がまわるくらいに忙しい。本当に目が回って、うっかり倒れてしまいそうになるくらいに忙しい。

忙しいと退屈は両立する

 本当に忙しくなって初めて知った。
 人間は、目がまわるほど忙しくても退屈することができる。
 たった一度きりの人生だというのに、油断するとかんたんに退屈してしまう。
 本気で憧れていたクリエイティブな仕事をする機会に恵まれても、いざ自分がやってみると、9割くらいは退屈な工程だったりする。
 逆に、暇だからと言って、退屈しているとは限らなない。
 むしろ、はたから見てボーっとしているように見えるような時ほど、本人の頭の中では面白いアイデアが浮かんだりしていて、盛り上がっていることがある。
 ちゃんと暇な時間を作って、その時間の中で退屈しないように工夫する。それがくたびれた大人にならないためのコツだろう。

ディズニーランドの過ごし方

 最近、ディズニーランドが話題になっていた。ガチ勢か、お金持ちでないと楽しめなくなった。と、テレビでも、ネットでも話題になっていた。
 そうかなあ、と疑問に思った。
 並んでばかりで一日が終わったら、それって悲しいことだろうか。つまらないだろうか。
 今どき言われるタイパ思考って、時間に対して何をパフォーマンスとしているのだろうか。
 たぶん、時間あたりの「刺激」をパフォーマンスとしているんだろなと思う。
 大切なのは時間あたりの幸せじゃないだろうか。
 好きな人となら、公園のベンチに座っておしゃべりするだけでも最高に幸せになれる。
 刺激をベースにしたタイパ思考で幸せになれるほど、人生は思い通りにはいかない。

忙しく遊んで、退屈している「ファスト人生」

 「ファスト映画」なんて言葉がある。
 タイパ思考、早送りで映画を観るらしい。
 「忙しく遊んでいるのに、退屈している」そんな人が増えた。
 ショート動画なんかの影響だろう。意識しないと、あっという間に時間を奪われる。世界中のエリートが集まって、視聴者をいかに効率よくスマホにくぎ付けにするかを競って開発しているのだから、時間を奪われて当然である。
 だからショート動画なんかとはちょっと距離をとって、意識して自分の時間を守るようにしている。
 大切な人とのメッセージはたいした話題じゃなくてもすぐに返したり、読もう読もうと思って読めていない本をちゃんと鞄に入れて出かけたりする。
 どれだけ忙しくても、暇な時間は必ずある。
 ただ、退屈するかどうかは個人の心がけにかかっている。

 即今当処自己(今、ここ、自分)に集中していないと、ファスト映画ならぬ「ファスト人生」になってしまう気がして怖い。

 退屈な時間を退屈なままに過ごした人生は、早送りで飛ばし観した映画のようになってしまわないだろうか。
 僕は、それって、本当にコスパいいのか? と首をかしげたくなってしまう
 すくなくとも、ぼくのなりたかった大人は、早送りで映画を観たりしない大人だった。
 憧れたのは、ロマンチックな構図と、うなるようなセリフに彩られた、子どもにはちょっと退屈な映画をたくさん観ている大人だった。
 そして、その映画の感想を友人とゆっくり語り合う。
 そんな大人でありたい。

1995年生まれ。 何かを作ることが好き。

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